吉田博展
【吉田博展 誕生140年】
久留米市美術館で2月4日から開催された明治時代に活躍した久留米出身画家:吉田博
久留米市京町で生まれ吉井町に移り幼少期を過ごした画家さん
その後、京都、東京と!
JR久留米駅の裏側、京町と言えば『放牧三馬』が有名な坂本繁二郎ンちの近所ですよ!
子供の頃から山が好きで登ってたらしく、登山家の画家でもあり、世界を代表する山脈、ロッキー、アルプス、ヒマラヤなど登山しながら描いたそうです! 過酷そう・・・
展示絵の殆どが個人蔵で9割以上も!
風景画が多く、水彩画、油彩画、木版画、墨絵など多彩な技法で描いた作品ばかりで、木版画は浮世絵技法と同じ方法で、絵師、彫師、摺師の工程を自分でも挑戦しながらの2人の彫師、摺師のスーパーバイザーとなり、作品を作り上げてたそうです。
江戸時代の浮世絵が約16度摺りですが、それを超える96度摺りという、根気がいる作業で完成させた日光東照宮の『陽明門』の版画もあり、英国の故ダイアナ妃も吉田版画のファンらしく、自ら購入した瀬戸内海集『光る海』と関西『猿澤池』がダイアナ妃の執務室に飾られてたそうです! その一枚の『光る海』が今回、展示されてました。
当時、日本では【白馬会】という『針仕事』でも知られてる洋画家の黒田清輝が発起した画家の会がありましたが、吉田博は黒田清輝が嫌いだったみたいで、ある日、殴っちゃったそうです!!・・・『九州男児!』 それから吉田vs黒田の因縁の対決が始まり、吉田が立ち上げた【太平洋画会】vs【白馬会】の展覧会対決をしてたようです。
その後、再びアメリカに行き、ベルギー、オランダ、ドイツ、スイス、イタリア、ローマ、ポンペイ、エジプトと渡り、日本に帰国し、再びインドに行き、タージ・マハールを描きに!
それと『ぼっちゃん』『我輩は猫である』の小説家、夏目漱石も絵を好きだったそうです。
それと、なんとアメリカのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)内ではマッカーサー夫人にも版画の良さを教えてたそうです!!
GHQとも交流があったので、コーンパイプをくわえたマッカーサーが厚木に到着した時に辺りを見て、『hiroshi yoshidaハ、ムカエニキテナイノカ?』のセリフだったそうです!
当時、神のような存在を見方にしてる吉田博が凄いかも!!
吉田博展は全国巡回してて、千葉市~福島県郡山市~久留米市、長野上田市~東京新宿の損保ジャパン日本興亜美術館で終了
久留米市美術館は3月20日まで後期の入れ替えての終了です。