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太刀洗平和記念館

  
【太刀洗平和記念館】
 
【シベリア抑留】
 
平和記念館の企画展【シベリア抑留】
当時、1945年8月の終戦後、武装解除した日本兵はモダイ!(帰るぞ)日本帰国と言われたが・・・、貨物列車に乗せられ、隙間から見えてた景色は日本海と思ってたが、そこは世界一の淡水湖、バイカル湖・・・
シベリア、モンゴルなど収容所に移送され、マイナス30度という酷寒のシベリアで強制労働・・・
ラーゲリという囲われた収容所で4箇所から監視され、粗末な道具を渡されて森の木を切り、自分たちでバラックという小屋を建てそこから地獄のような日々が・・・
酷寒の中のいろんな作業で凍傷で指を無くす人、仕事もノルマがあり、出来なければ食事なし、ノルマ達成した人はさらに仕事が増やされと、どっちにしても過酷な状態になり、過労で命を落とす人が沢山・・・ 57万5千人の抑留で約5万5千人が過労で亡くなったそうです・・・
粗末な食事、過酷な労働の辛い毎日の中で、きざみタバコ=乾燥させた葉っぱを紙で巻いたりなど嗜好品を作ったり、自分たちで演劇を演じたり、帰国できる日を願い、満天の星空を見て楽しみで気をまぎらせてたなど・・・

バラック内など不衛生な状態でノミ、シラミ、南京虫、寄生虫、伝染病など・・・
そんな状態で鉄道建設、土木、炭坑作業、農作業など過酷な労働を強制的にさせられ、早い人で1年で帰国の人も居たが1950年までに47万人が帰国、しかし長い人で31年もラーゲリに居た人も・・・

太刀洗平和記念館の2階で抑留されてた方たちの協力により、絵や当時の物を展示説明してます

平和記念館が少し広くなり、特攻資料館が出来てました
外には三菱重工製の純国産のMH2000ヘリコプターが展示!